書いてたら長くなったので前回の続きです。まだの方は前回の記事↓
https://croissantrugby.hatenablog.com/entry/2022/10/11/120424
からどぞ。
陣痛が来たよ~というタイミングで、その日どのように過ごしたか、という内容です。
最初に言っておいたほうがいいと思うけど、時系列順に出来事を振り返っているだけなので、読み飛ばしてもらって構いません。なんかその時の臨場感とか感じてもらえたらいいな。くらいの気持ちで書いてます。
では続きです。
9月5日11時
通っていた産院では「陣痛中は立ち合い不可、分娩室から立ち合いOK」という感染予防対策をとっているため、妻はしきりに「ぎりぎりまで家で粘って病院ついたときにはすぐ分娩っていう状況まで我慢したい」と言っていた。とはいえ、急に破水してしまったり容態が急変したり、陣痛が思ったよりすぐに早まったりなどなど、すぐに病院に行かなければならない可能性もあるので、早めに昼食などは済ませておくことに。パパっと作った料理で腹ごしらえをした。
この時点で7~8分に1回のペースにはなっていたのだが、妻は「病院に電話したら『一応来て様子を見せて』とか言われそうやけんまだ電話しない」と言っていた。
9月5日15時
昼食後はお茶をしたりボードゲームでゆっくりと時間を過ごし、15時。
この時点で陣痛開始から7時間くらいたっているのだが、相も変わらず7~8分に1回のペースから全然縮まらないどころか、時にはそれよりも感覚が広がるときもあるような状態に。
直接的に言及したりはしないけども、僕も妻も「なんかペースが悪いな」みたいな感覚を感じていたように思う。当然、痛いのが長く続くのは誰もうれしくないので、可能ならすぐに終わってほしい。
で、「お産を進めるためには歩くのがいいらしい」と言われているので(前の前の記事も参照されたい)陣痛のさなかではあるが、気晴らしに二人で外を散歩することにした。
家の近所ではあるが、外を歩くのはやはり気持ちがいいものだった。途中途中痛みで歩みを止めたりもしたが、リフレッシュにはなったように思う。そして1時間弱歩いて帰宅した。ところが、帰宅後にも期待していたような痛みの感覚が狭まったり、痛みが強まったりといった様子が表れていないと妻がいう。
9月5日16時ごろ
散歩から帰ってきて話を聞き、僕は妻に対し「5分に1回ペースになってからといわれてはいるけれども、さすがにそろそろ電話だけでも病院に相談したほうがいいのでは?」と何度も口にしてしまう。ぶっちゃけ、散歩に行き始めたあたりからは妻よりも僕のほうが焦り始めていたように思う。
当の本人である妻はやはり電話したことで藪蛇的に入院が早まることを嫌い拒み続けていたのだが、ついぞ観念して僕の言う通り電話してみるとしぶしぶ応じてくれた。
「いつきくん(僕)が電話したら深刻そうに話してしまって病院から『すぐ来てください』とか言われそうやけん私が話す」と言われ、妻から電話した。その様子を僕は見ていたが、結局病院からの返答は「いったん病院に来てください」というものだった。仕方なく身支度をして病院に向かうことに。
万が一のことも考え今のうちにシャワーを浴びておいた。妻から「私が入院することになったら読んでほしい」と手紙を渡される。帰ってきてから読んで、と言われてから、事前に用意していた入院用スーツケースとカバンを持ち、タクシーで病院に向かう。
9月5日17時ごろ
病院に到着。通常の診察受付時間は過ぎていたけれど受付をしてもらい、検査キットみたいなやつを渡され、検体をとる。
その間、ちょうどシフト上がりの助産師さんから「パパいよいよですね。奥さんの入院中家事お願いしますよ。ママがボロボロの体で退院したと思ったら家の片付けが始まるのは最悪ですからね」とかいわれる。「男だからってなめられてる?」って思ったけどまぁそういう先輩ママパパの皆さんがいたんだろうなぁとか思いながら話を聞く。
でも、手書きで夫が退院までに準備しておいたほうがいいことのメモを書いて渡してくれた。本当に妊婦と赤ちゃんが元気でいることを願っているだけなのだろうな。
で、それもおわって診察へ。僕は診察室の前で待機。
しばらくして助産師さんが出てくる。「奥さん入院ですので、帰宅して待機しておいてください」と。
衝撃走る。ああいよいよか。
続いて妻が診察室から出てきて「入院することになった最悪」と。なんでもお医者さんにも「子宮口の様子をみて大丈夫そうなら一回帰りますと話したそうなのだが(笑)、お医者さんが触診した瞬間に破水してしまったらしい。お医者さんから「赤ちゃんは出たがってるよ」と言われたそうだ。
それはいいとして、問題は10㎝開く子宮口がまだ1.5㎝しか開いていなかったらしいことだった。進捗でいえば15%。。。。
朝からの9時間は何だったのか、まだまだ時間がかかるってことか。生まれるのは今から何時間後。。。?と、気が遠くなった。今思えば、この時一番気が遠くなるような絶望を感じていたのは妻だっただろう。
一瞬にしていろいろな感情が沸き上がったが、いずれにせよ妻が入院することになった僕はしばらく自宅待機せざるを得ないということになった。(立ち合いや面会ができないのは前述の通り)
真夜中に分娩になるかもしれないのでそれまでにいろいろ身支度を済ませておかなければならない。バスで20分くらいの距離を落ち着くために1時間ちょっとかけて歩いて帰った。
9月5日19時ごろ
帰宅して、仕方なく夜ご飯の準備。お米を炊飯器にセットして軽く片づけをしたり、助産師さんに勧められたYouTube動画を見て出産後の授乳や沐浴の勉強をしたりした。
しばらくして、妻から受け取った手紙を読む。内容はちょっと秘密だけど、妻の覚悟や気持ちが伝わってきて、ちょっと泣いた。
LINEで手紙読んだよ~的なことを送って、やり取りしながら飯を食った。ああなんかソワソワするなぁとか思いながら「この経験は記録にでも残しておくか」と書き始めたのが前回の記事。更新おそっ
9月5日21時ごろ
妻と電話。痛みの具合はどうだとか、晩御飯は麻婆豆腐だっただとか、シャワー浴びていったけど病院でも浴びれたわとか、他愛無い会話をした。入院が決まって数時間経っただけなのに僕は不安な気持ちになっていたのだけれど、声を聴くと安心した。LINEの履歴をさかのぼると40分ほど電話してたみたい。
「真夜中に分娩が始まるかもしれんけん、早めに寝といてね」みたいなことを言われて終話したのだが、電話を切った後またそわそわし始めたのでジムに行った。
9月5日22時ごろ近所のエニタイムフィットネスで肩トレと有酸素を少しした。(ネタバレだけどこの記事は1か月半経って書いているのだけど、この日のジムは印象に残っている)
重いものをフンスカフンスカ挙げていると、その間は悩みとか不安を忘れられた。やはり筋肉は偉大だ。三角筋も心なしかいつもよりパンプアップしていたな。
1時間ほど体を動かして帰宅。
9月5日23時
ジムから帰ってきてからシャワーを浴びて、ブログの続きを書いた。
気づいたら12時を回っていたし、眠かったので12時20分ごろには布団に入っていたと思う。
なんだけど、眠いんだけど、寝られなかった。妻は寝られているのかなぁとか、今どんな状況かなぁとか、なんかいろいろ考えちゃって、ずいぶん久しぶりに考え事で寝付けない状態になった。
スマホをいじったり、うつぶせになってみたり、寝つきがよくなるBGMを書けたりしたけどなかなか眠れなかった。何時に寝られたか覚えてないけど、最後に見た時計は午前2時を回っていた気がする。
そういえばいつ連絡来ても起きれるようにスマホの通知音量を最大にしたり、AppleWatchのマナーモードを解除したりしてたな。
9月6日8時
妻からのLINEの通知音で起きた。「陣痛が進んだから早く来て」というものではなく「陣痛間隔が狭まらないから促進剤投与になるかも」というものだった。
促進剤というのは陣痛促進剤のことで、今回のように陣痛が思うように進まないときに薬剤を投与することで、その作用により子宮を収縮させ、陣痛を進ませるものだ。
妻は「できれば使いたくない」と言っていた。
「促進剤投与することになったら一気に進むかもしれないから、なるべく病院の近くで待機しておいてほしい」と連絡があった。
9月6日9時
医師の診察を受けた妻から続報のLINE。「昨晩からほとんど子宮口が開いていなかったから促進剤投与することになった」というものだった。
後から聞くと前日の17時に1.5㎝だった子宮口は、翌日の朝9時になってもまだ2㎝にしか開いてなかったらしい。
9時50分ごろに投与が始まったというLINEが来た。
「もう本当にいよいよだな」と考えると、不安と得体のしれない恐怖心がわいてきた。
、、、というところで3500文字超えてしまって疲れたので、いったんここで「その2」は区切ります。今の僕には「この記事全然面白くないんじゃないか」という不安と恐怖心がわいています。
たぶん次回で最終回!
人知れず追記:最後日付が間違ってました。今後何かあったら誰か気づいた人は教えて