いつきはいつも思いつき

だいたいは 口から出まかせ ひとりごと

心に宿せ百獣の王

めちゃめちゃ今日寒い。寒すぎる。なんだこれは。

 

なんか聞くところによるとウン十年ぶりの大寒波が来てるらしいじゃないですか。そりゃ寒いわけだよ。

 

出不精な僕は引きこもりに拍車がかかっているところです。。。

 

 

 

そういえば僕運動部に入ってたんですけどこの前引退したんですよ。

 

そこで気になるのは引退したあとのダイエット問題。今まで運動部であることを免罪符に好きなものを好きなだけ食ってた人間が運動しなくなったら太るのは必至。出不精だとか言ってる場合じゃないわけです。

 

アブラモノを控えたり食べる量を少なくしたり、いろいろ方法はありますけどやっぱり大切なことは運動することですよね。

 

僕も運動部の端くれだったのでそこら辺は心得ています。こないだも心を鬼にして、というか、心を武井壮にして!真夜中に自分を高めるためにランニングに繰り出したのです。

 

 

 

 

僕の家の近所には公園があるんです。1周700m強ってところかしら。そこそこ広くて走るのに適した公園だもんで、いつもそこで走ってるんです。

 

まあそういう公園なので他にランニングしている人がいることも少なくなく、その日もすでに何人か走っていました。

 

で、コレ、ランニングする人にはあるあるだと思うんですけど、同じコース走ってる人との「追い抜くか追い抜かれるか」問題が発生するんですよ。

 

わかる人にはわかると思いますが、知らない人を追い抜くのも追い抜かれるのも、何なら追い抜かないのも、なんか気まずいんですよね。申し訳ないというか。気持ち悪いんです。理想はお互いの姿が見えない状態で気持ちよく走りたい。

 

僕は持久走とか苦手なタイプなのでたいがい追い抜かされる側なんですけど、僕もそれに慣れちゃってるので「はえー」って思いながら追い抜く人の背中を見送ることが多いんです。

 

 

 

 

 

しかしこの日は違った。なんせ今日は心に武井壮が棲んでいますから、「なんだあいつほそっちょろいくせに!ガッとしてビターンしたい!」こう思うわけです。武井壮さんのことよく知らないのに心に宿すもんじゃねぇな。

 

とにかく!この日はいつもと違い負けん気がふつふつと湧き上がってきたもんで、ちょっとペースを上げてみたんですよ。追い抜けないにしても、引き離されない程度に。

 

今にして思えば、前を走っていた彼は後ろに武井壮が走っている状況に「いつ遠くから石をブン投げられるかわかったもんじゃない」って内心ビクビクしてたのかもしれませんけど、実は武井壮を宿した僕なのですぐにキツくなってきました。百獣の王もびっくりの持久力。悔しながら完敗です。追走も長くは続かず徐々に引き離されていきました。

 

 

 

 

 

とはいえ何の成果も得られなかったわけではなくて、前を走る彼を見ていて気づいたことがあったんです。それは何かというと、彼の特徴的な走り方です。

 

彼の走り方は僕とは大きく異なっており、重心が低いというか、目線の高さが変わらないんですよ。足も滑るように前に出ていて音も静か。たとえるなら忍者のようでした。

 

それと比べると僕の走り方は足がバタバタしていて姿勢も上下していることに気づきました。彼が忍者なら僕はゴロン族の走り。姿勢が上下するということは上向きに力が働いてるということで、走りたい前方向にうまく力が伝わってないということは何となく文系の僕にもわかります。

 

もちろん短距離のスピード走ならまた話も違うのでしょうが、とりあえず持久走においては非効率な走りをしていたようでした。心に武井壮を宿したおかげでそのことに気づいた僕は早速彼の走り方を真似てみることにしました。

 

するとどうでしょう、スピードをグングンあげてもすごく楽なんです。感動するほど走るのが楽しい。これには驚きましたね。もう10年以上運動部やってきて飽きるほど走らされたりしましたけど、ひょんなことからグンと上達することもあるんだなって。先入観にとらわれずなにをすれば上達できるかを考え続けなきゃいけないなって彼と武井壮に学ばせてもらいました。。できれば引退する前に知りたかったですけど。

 

そんなこんなでたのしくなってそのあとも走ってたら例の彼にもう一回抜かされたのでいやどんだけ早いねんって若干引くと同時に我に返ったのでそのへんにして帰ることにしました。

 

いつもならクールダウンを兼ねてペースを落としながら帰るんですけど家までの道のりもそのままのペースで走って帰りました。

 

 

 

 

やっぱり楽だなーたのしいなーって思いながら歩行者をグングン抜かしてたら一人で歩く女性がバッ!!と僕のほうを振り返ってものすごい形相で僕のほうを見てました。

 

そこで気づいたんですけど、忍者みたいな走り方で音もなく猛スピードで迫ってくる百獣の王って女性から見たらめっちゃ怖いですよね、、、

 

 

 

 

 

皆さんはくれぐれも怪しまれるような走り方で街を走らないようにしようね!そして夜道は背後に気を付けながら歩こうね!

 

 

 

 

あとくれぐれも武井壮さんに言いつけるのだけは勘弁してください。

何も考えないことはできるか

何も考えないでください!って言われたら。


あなたはきっと「何も考えないようにしよう」と考えてしまう


「アイツお前に気があるらしいぜ」って言われた途端に妙にその子が気になってくるように


えっなにそれ青春じゃん、、アオハルじゃん、、





もとい、


「下心あるんじゃないでしょうね〜」って言われた瞬間に下心が湧き出てくるように


えっなにそのけしからん状況、、!ダメですよ、、




、、、、例を出してたらどんどん妄想が捗ってしまうのでこのくらいにしとくけどさ


〇〇しちゃダメって意識したら逆にそうなっちゃうのってあるあるだと思うんですよね。









というのも、こないだね、もうぜんっぜん寝れなかったんですよ


布団に入ったのが1時くらい。ちょっとスマホいじってから目を閉じて寝ようとします。


「あっ、アラームかけんの忘れてた」っつってもっかいスマホつけてアラームセットしてまた目を閉じる


「明日起きたらアレしなきゃな〜アレもソレもしなきゃ」



とかなんとかいろいろ考えてたらもうあれやこれやと考えてしまってもう寝られないんですよね。あるあるですね。






僕も寝られない経験豊富なその道のプロなのでもう寝れなくなり慣れてるんですよ。「寝れなくなり慣れてる」って早口言葉みたいやな


で、このいろいろ考えてしまう状態が良くないことくらい知ってるので今回は一つの対策を持ち出したわけです。


それすなわち「何も考えない」を、することなんです。


「何か考えてしまう」ことで寝られなくなるなら何も考えなければいいんです。天才。







これね、冒頭の話に戻るんですけど、言うは易く行うは難し。難しいんです。


何か考えはじめてしまったら「あっやべ考えはじめちゃった」って気づくじゃないすか。この時点でアウトなんですけど、


「考えんのやめなきゃ」ってことをその時点で考えはじめちゃうわけなんすよ。矛盾してるんですよね。難しい哲学みたいな話になってきました。







ここで「難しいね、寝れなかったや。あはは」って話で終わるんなら僕はこんなブログ書きません。


今日は、ワタクシ、こういう時に何も考えないコツを、見つけてきました。ありがとうございます。いつもありがとうございます。


そのコツというのがですね、「後頭部に意識を引っ込める」っていうやつなんですよ。是非メモしてください。


脳科学的なことはなんっっっっにも知らないので茂木健一郎に言いつけるのだけは勘弁してほしいんですけど、


なんかいろいろ考えてる時って頭の先っちょのほうに意識がある気がするんですよ。


そこでその先っちょだけ!に意識がイキそうになるのをガマンして後ろの方に引っ込めるイメージです。男性諸君ならこれだけで何となく想像できるんじゃないでしょうか。



そうすると、けっこうスーーッと意識がなくなっていくんですよ。なんてためになるブログだ!読んでよかったなぁ!




ちょっと待った!奥さん!まだこんなんじゃ終わりませんよ。続きがあります!歳末セールの大サービス!


今日はさらに意識がなくなったらどうなるかって話までしましょう!





意識がなくなったら寝られるんじゃないの?って思ったあなた。三流です。そんなんじゃプロなれません。実家帰れ


意識がなくなったら脳みそ空っぽなるじゃないですか。そうするとどうなるかっていうと、感覚が脳みそを占める割合が100パーセントになるんですよ。






そう、脳みそぜんぶ、尿意に支配されたんです。


ただの尿意じゃないですよ。普段なら気にも留めないような尿意。ポケモンならオーキド博士にもらいたてのゼニガメレベルの尿意なんです。みずでっぽうすらできないゼニガメ尿意に僕にぶら下がってるカメックスが全部支配されてもうトイレに行きたくて行きたくて仕方がない。


せっかく何も考えないことができたのにもう「トイレに行きたい」が頭から離れなくなるんですね。つまり、この作戦は結局、失敗でした。やむなく布団を出てトイレに行きました。


ですからみなさん、布団に入る前にはトイレに行きましょう。歯も磨きましょう。風呂にも入りましょう。


そしてみなさん、良いお年をお迎えください。









明日言えばよかったなこれ。まだ30日やったわ。






それではみなさん改めて、良いお年を。












くれぐれも茂木健一郎に言いつけるのだけは勘弁してください。




コバエとインスタバエのはなし

突然だけど僕はゲームが好きだ。本当に突然で申し訳ない。ゲームが好きなんです。

もっと言うとゲーム実況も好きだ。高校のころは高校入学と同時に全ゲーム機を売り払い、ちょうどその頃モテたくて始めたギターに集中しようと思っていた。そしたらいつの間にやらニコニコ動画でゲーム実況動画ばっかり見ていた。ゲームをしている時間がゲーム実況動画を観る時間に変わっただけだった。



ちなみにギターはあまり上達せず、特にモテたりもしなかった。



そんなことはさておき、大学に入ってからはもっぱらスマホアプリ、いわゆるソーシャルゲームという形でいろいろなゲームをまたするようになった。

パズルなドラゴンやらモンスターのストライクやらラブのライブやらクラのクラやらいろいろ触ってきたが、今はクラロワとシャドウバースという2つのゲームをしている。

これらの具体的なゲーム性はまぁ話すと長くなるので割愛するが、それぞれゲーム性は違えど共通して友達とやることがすごく楽しかったのだと最近気づいた。

ここで言う友達とはなにも身の回りのリアルな友達に限らず、対戦ゲームの相手だったり、ゲーム内のチームメイトだったりもする。そして、似たような親近感をゲーム実況者に対しても抱いていたのだと気づいた。

つまりはゲーム実況者の実況プレイを見たりその動画についたコメントを見ながら、なんとなく一緒にワイワイプレイしているような感覚になっていたのだと気づいたわけだ。




思えば少年時代、友達の家でするスマブラは何時間でもやれたし、友達がプレイしてるゼルダを見てるだけでも楽しかった。

少し大人になった今となって、ゲームそれ自体のおもしろさはもちろん、友達とゲームという遊びを通して一緒に過ごすことも楽しさの一因だったのだなぁと気づく。



誤解を招きそうなので一応弁明しておくが、この話の趣旨は「ゲーム実況なんて見てないでリアルな友達と過ごそうぜ」とかそういうものではなく、純粋に「今はインターネットによってもそういう楽しさや趣味を共有できるからイイね」ということだ。


 


ところで最近はゲーム実況に限らず、SNSを通して簡単にたくさんの人と交流し、趣味を共有できる。特にインスタグラムではその傾向が顕著だと思う。

美味しいものを食べにいき、写真に撮りインスタグラムで共有する。旅行にいき、その様子を写真に撮りインスタグラムで共有する。投稿を見た方は、思い出話を聞いたような気になる。そしていいねされた方は、思い出話を聞いてもらったような気になる。そうすることによって、その思い出を共有したような気持ちになる。それは皮肉でも何でもなく、素敵なことだなぁと思う。

近頃はなにかを「した」思い出をインスタグラムで共有するのではなく、インスタグラムで共有したいがためになにかを「しに行く」という逆転現象が起きているらしい。

よく「インスタ映え」なんて言葉を聞くが、「インスタ映え」する景色や料理を撮りに行くことが目的になっていることも多くあるようだ。 

それを揶揄する人もいるが、要はそれによって楽しめれば何でもいいと思う。その順番は重要ではない。




ところでインスタバエといえば少し前にひとりぐらしの僕の家にコバエが湧いた。水回りの掃除をサボっていたからなのだが、あまりに鬱陶しかったので柄にもなくみっちり掃除してしまった。奮発して市販のコバエとりまで買ってきて。駆逐してやる、、という気概で臨んだからね

結局市販のコバエとりは一切活躍せず、主婦の知恵みたいな「めんつゆトラップ」の大活躍によりほとんどコバエは見なくなった。いまやコバエとりはただの置物である。
 
  


いきなりコバエなんて気味の悪い話をして一体何が言いたいかというと、インスタバエにとらわれてあれこれしているうちに、インスタがなくなったときにコバエとりのように置物になるものが増えることだけは怖いなぁと思うのだ。(長々と書いてきましたがようやくシメに入りますよ、奥さん。)



つまり、お金にしろ時間にしろ、その目的がインスタに投稿することにしろ純粋に趣味として楽しむことにしろ、消費したことを後悔することはないようにしたいということだ。

要は、ムリしてまでしないでもいいのだ、と思う。投稿することがないからしたくもないことをするのは違うかなと思う。

もちろん、それはそれとして、インスタに投稿することが楽しくてそれが目的であることに満足しているのならそれはそれでいいと思う。僕もいつ終わるかわからないソーシャルゲームに時間を取られまくってるがそれなりに満足している。満足していることにしているだけかもしれないが。

繰り返すが、楽しめているのなら動機はなんでもいい。楽しめばいい。それだけ。

そう、モテたくてはじめたギターも、モテないまま置物になってしまったけれど、それはそれとしてギターを習ってた時間は楽しかったから満足しているのだ。満足しているのだ。満足しているのだ。

激論!うんちゃらかんちゃらってやつの続き

予め言っておこう、、、






前回の更新からめっちゃ間空いたけどためた割にたいした話じゃないぜ!!!!!

 




ということで本題にはいろう。はい、前回のあらすじ

【前回のあらすじ】
私いつき17歳!恋に恋する女子高生!毎日すっごく楽しいの!ただし、このいけ好かない男、マサオに振り回されてばっかり!なんだけど、今日はなぜか体育館裏に呼び出されて、、、いまから私、どうなっちゃうの~!



ってチョイチョーイ!だれが17歳の女子高生か。22の青ひげクソ野郎や。現実を見ろ



こういう悪ふざけしてるから途中であきちゃって続きはまた今度とかになるのよね、、


あらためて、

【前回のあらすじ】

夜行バス玄人の私。いつものように乗車し、前もって後ろの少年に座席を倒すことを伝え、座席を少し倒しました。消灯後、闇に乗じてさらに座席を倒そうとするも倒れない!

どうやらコイツ、俺の席を押さえつけてやがる!





自分で書いてて虚しくなるけどこの記事を書いた俺氏、器小さすぎでは??




、、、、😅





、、、まっまぁとりあえず話だけでも聞いてってくださいよ!




それでですね!どうやら僕の席は押さえつけられているらしいと思うと後ろの少年に腹が立ってきたわけですよ

(何だコイツ、、寝る環境としては最悪の夜行バスでこんな角度、、寝れるわけねぇ、、、!)
  

一旦座席を倒すことを諦めたふりをして時間を置いてからまた倒すことにした私。寝たくて寝たくて必死です。

しかしこれもすぐに気づかれ阻止されます。何だコイツ!悶々としたままバスに揺られます。

寝るに寝られず私は考えはじめます。

そもそも、座席を倒す権利って俺のものなのかそれとも後ろの少年に拒む権利があるのか」

ということで本題なんですがみなさんはどうお考えになるでしょうか。明確に調べたわけでもないんですが、僕の考えはこうです

結論から言うと座席を倒す権利はその席に座る、倒す側にあると考えます。

理由としては、まず僕が乗車する席について僕だけがお金を支払っていることが挙げられます

僕が買った席に対して後ろの席の人は一切対価を支払っていないわけですから、座席を倒すことも僕が受けるべきサービスの一部と捕らえることができると思います。

「いや、直接的には支払われていないがそのぶん安くされてるということかもしれないから我慢すべき」という意見もありえます。

しかしながら、それだと一番後ろの席(後ろに乗客がいない席)も同じ値段なことに説明がつきません。

そして何より空席があるときに、その前の席と他の席で代金に対する対価が違うというのはおかしいと言えます。

よってですね、座席を倒す倒さないというのはその席にを座る人の自由であり、後ろの席の人が「イヤです」と言ったとしてもそれに従う義務はないというのが私の考えです。




そんな器の狭い持論を心のうちに掲げて「ホントは俺倒さない義理なんてないんだからな!あ~俺やさし!!」とか思いながら勝ったつもりで(何に勝ったのか知りませんが)寝てるんだか寝てないんだかよくわからない夜を過ごしました。



そして朝。そろそろ目的地に着きます。結局あんま寝られなかったなとは思いつつ、過ぎてしまえばどうでも良くなっていました。



目的地につきました。案内があり、みんな降りる準備をし始めました。

「もうどうでもいいけど最後に後ろの憎たらしい少年の顔でも拝んで帰るか」

そう思った私は席を立ってチラリと後ろの席に目をやります。

するとそこにすわっていたのは、

声をかけた若い少年とは似ても似つかないおばあさんなのでした



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激論【夜行バスの座席を倒すことを拒めるか】その1

僕就活生なので移動で夜行バスを使う機会がままあるんです

それでね、夜行バスで寝れるか寝れないか、これ重要ですよ。これが次の日のパフォーマンスに著しく影響します。

そして寝るときに座席を倒せるかどうかというのはこれ、大問題です。揺れるわ枕はないわ数時間おきに電気つくわの最悪の環境でいかにベターな状態に持っていくかということがいかに重要かは言うまでもありません。

ある日のことです。いつものように夜行バスに乗り込みました。

これで空いてたら人の目も気にせず座席倒したい放題祭りなんですけどあいにくその日は満席御礼でした。

出発後運転手さんがアナウンスします。「本日はご乗車いただき~~」うんたらかんたら。そして言います「お座席を倒す場合は後ろのお客様に一声おかけください」と。

「それが気ぃ使うんだよ運転手さんよぉ!」ってツッコミたいところですが生憎わたしは夜行バス玄人ですので、すかさず後ろを振り向き「すみません席倒しますね~」と言いました。

後ろの席に座っていたのは齢19といったところの少年でした。似合ってない茶髪にイヤホンで音楽を聞いているタイプの大学1年生って感じの子でした。

彼は「あっ、、ウッス、」と返事してくれました。思えばこのとき少し不満気な顔だったのですが、 僕は上機嫌で少し倒させてもらいました。これは何回も乗って身につけたワザなんですが、最初は倒すのは少しだけにして夜の暗闇にまぎれて徐々に倒すとバレにくいです。コスいですね。

そして最初の休憩地に着きました。僕は内心ウキウキです。というのも、最初の休憩地を出るとバスの車内は消灯され、真っ暗闇になるのです。これで暗闇に乗じて席を倒せる!なんかこうして書くと変態みたいですが。

そんなわけで休憩地を出発しました。アナウンスがあり消灯の時間です。少し待って、「今だ!」と座席を倒すレバーに手をかけます!

しかしおかしい。倒れません。体重をかけてはいますが座席が動かないのです。

なんだかなぁ~こわいなぁ~(稲川淳二風)なんて思いながら一旦諦めます。もしかしたら思ったより倒してたのかもしれないなと。

しかし横の座席を見ると明らかに僕の席より倒れてるんです。というかそれより倒れてない僕の席がおかしい!

そう思いレバーに手をかけ倒そうとすると、少し動いて止まりました!!どうやら後ろのあの野郎、押さえてやがる!

、、とまぁ長くなったのでこのへんで一旦区切って次の記事につづく事にします

本題については次回の記事で話すので気長にお待ちくださいね~

0カロリーコーラがきらいだという話

そういえばおまえ、ブログやってたんだなぁ!って、僕が一番思っているから安心してほしい。

久しぶりの更新である。ご機嫌うるわしゅう。

さて、早速本題に入ろう。みなさんは0カロリーコーラと普通のコーラ、どちらをよく飲むだろうか

まぁタイトルのとおり僕は0カロリーコーラは嫌いなんだが、こう聞くと大抵、「0カロリーコーラまずいから好きじゃない〜」とか、「ホントは普通のコーラの方が好きだけどダイエットのために0カロリ〜」とか、そういう言葉が帰ってくるのではないだろうか。

でも、実際0カロリーコーラってそんなに美味しくないのだろうか。

こんなタイトルのブログをかいといて何だが、僕はそうは思わない。アレはアレでちゃんとうまい。少なくとも現行の商品についてはそう思う。

日に1本ペースでコーラを飲んでいる、いわば血液コーラ人間の僕が言うんだから間違いない。あれをまずいというのは偏見である。断言しよう。

ではなぜここまでいう僕が0カロリーコーラが嫌いなのかというと、「飲んだ気になって実際には飲んだことになってない」感が嫌いなのである。

これはどういうことかというと、0カロリーコーラを買い、口にふくみ、甘みと刺激を感じ、胃に流し込んだ。「コーラを飲んだ」と感じる。それなのに、身体の中では甘み成分は吸収されない。水だけが吸収され、甘み成分はう○こと一緒に排出される。身体の中では、0カロリーコーラは炭酸水と何ら変わらない方法で処理されてしまうのだ。これがきらいなのである

別に栄養についてはそこまで詳しくないのであんまりアラ探しをされてもこまるのだけれど、考えてもみてほしい。これは高い金払ってカレー屋でカレー味のう○こを食わされてるようなものともいえないだろうか。僕は「カレー」を食べに来たのであって、「カレー味」を食べに来たのではない!

つまり何が言いたいかというと、ぼくはコーラを飲み、コーラの甘みである糖を吸収し、その結果として太る、そのほうが、「リアル」で、良いと思う。うまく言えないが、コーラを飲んだつもりが炭酸水だった、というほうがなんとなく、キモチワルイ。

最近、VRが注目を集めている。目にデバイスを装着すれば、バーチャルの世界を体験できると話題だ。

このVRにも、もしかしたら0カロリーコーラのキモチワルさが潜んでいるのかもしれない。大げさな話になるけど、バーチャルな世界に現実世界が支配されるような、映画のマトリックスみたいなことになるのかもしれない。

そんなことを思いながら、「でもプレイステーションVRめっちゃ楽しそうだなぁ〜!」と思っている自分がいる。買っちゃいそうだなぁ。0カロリーコーラを飲みながら、そんな記事を書く。最近体重が気になり始めました。

なんとなくブログをつくることにしたの。

こういうブログなんかをはじめるときには決まってなにから書こうかなと頭を悩ませることになる。


まずは挨拶から始めたほうがいいのかな。はじめまして。いつきといいます。血液型はA型です。好きな飲み物はコーヒー牛乳。どうでもいいね。




さて、ブログを始めようと思った理由を書こうかしら。


僕は結構ぽけ〜っと考え事をするのが好きで、自問自答する考えごとというよりはむしろ自分の考えを伝えるにはどう話したらいいかな、という考え事を良くする。


要はスピーチの原稿をつくるような考え事をするのが好きなのだ。


それで、Twitterとは別に考えた原稿を残しておく場所が欲しいなと考えるようになったわけです。理由おもしろくなっ!!



それで、ですよ。ブログを始めるにあたって悩みごとがいくつか生まれることになった。


まずは冒頭で話したとおり、はじめの記事の書き出し。これはまぁ見てもらえばわかる通り苦肉の策。書き出しに悩むねハハハというカタチで乗り越えることにした。


次に僕自身の名前。いわゆるハンドルネームというやつだ。これもハイカラなハイセンスチョベリグニックネームにしようかと考えたけど、まぁTwitterから入ってくる人もいるだろうしいつきにしておくことにした。決してハイカラなハイセンスチョベリグニックネームが思いつかなかったわけじゃ、、、ないんだからねっ!キュン



その次は最難関であるこのブログの名前だ。このブログの看板になるわけだけどなかなかどうしてむずかしい。センスが最も試されると言っても過言ではない。


高校生の頃、やっていたブログの名前も気に入っていたけどあのブログ自体は黒歴史なので使いたくない。いつきのブログじゃ味気ない。いつログ、いつブロ、、、


とまぁこんな感じで悩んでたら3時間経っていたので一旦保留にした。3時間はウソ15分くらい。


で、今日ふと「思いつき」って単語を見たのでビビッときたのでそっからはもうインスピレーション祭り。秒で決まったわけです。




そして最後。最初に書く記事の内容だ。これはもう普段の考え事なわけだからブログはじめるのを決める以前に決まっていた。



そう、だから今から話すね、、、って思ったのに名前とかなんとかのところでまぁまぁ長くなってしまったのでまた次回に回そうと思う。なんて本末転倒!ゥワァオ!パカッ!出たっ!



そんな感じでまぁ、ぐだぐだと書いてきたけどたまに書いていくんでよろくしおねがいします。





最後にひとことだけ。



こういう記事は読み飛ばしたほうがきっといい。